自分らしい生き方

メルマガ「ピンチをチャンスに!あの手この手の勝者の心理戦」の過去ログとそれに派生する、生き方について考察してみます。

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ぴあの矢内さん(中編)

ガーーーーン



ものすごい衝撃を受けてしまいました。

手帳にはTo-Doリストを作るな。
すぐに記帳して予定表として組み込む。
そうでなければ意味がない。

仕事もプライベートも区別せずに一気に書き込んでいく。
すると予定表を次々と書き込むことによって拘束されている時間帯がわかる。

その拘束されてない空き時間を自分自身で認識するのが手帳の役目だと。

すると今度は、その空き時間に“一体何ができるのか?”を考え、次々とそこにしなければならないことを書き込んでいく。

さすがにミリオネーゼの佐々木かをりさんです。

この世の中で一番大切なものは“時間”であることをよく分かっておられます。

私もこの考え方には、ものすごく興味を持ちましたので、自分なりに頭の中で整理が出来次第実行してみたいと思います。

すぐやれっ!って?

それはそうなんですが、少しばかりこの思想はカルチャーショックだったもんで頭の中のお掃除をしないと間違った方向に進んでいってしまいそうで・・・(^^ゞ

前号までのあらすじ


ぴあ株式会社”の創業者である矢内(やない)廣さんがぴあという総合情報雑誌を創刊したのは大学3年生の時でした。

絶対に売れると踏んだ矢内さんは早速1万部ほど印刷屋さんに発注します。

そして書店取次店に全国の書店へ置いてもらうように頼みにいきます。
しかし書店取次店は学生商売の矢内さんのことを相手になどしません。

そこで矢内さんは書店に直接「置いてもらうように」交渉を申し入れます。

しかしやはりここでも学生商売の矢内さんのことを相手にしてくれる人は全くといっていいほどありませんでした。

とうとう万策つきた矢内さんは、急に何を思ったのかあの紀伊国屋書店の社長だった田辺茂一さんのもとへ直接電話を入れたのでした。

もちろん知り合いでもなければ紹介者がいるわけでもありません。
だから普通であれば、受付でテキトーに断られるのがオチです。

しかし万に一つの確率で電話がご本人に取り次がれたのでした。
そしてとうとう田辺さんとお会いする約束を取り付けたのでした。

田辺さんとお会いすることができた矢内さんは、こう言われます。



君の言うことはわかった。
書店に本を置ければいいんだね。
それだったら僕よりも適任者がいるので、その人を紹介するよ。
そして紹介されたのが、教文館社長の中村さんでした。

早速、教文館の中村さんの元に矢内さんは急ぎます。

そして開口一番言われたのが

僕たちプロであっても雑誌を売るというのは、非常に難しいんだ。
ましてや学生の君たちが売るというのは至難の業だ。

だから傷が浅いうちに一刻も早くあきらめた方がいい。

期待していたのとは全く反対のことを言われてしまいます。
矢内さんは、ガックリと肩を落とします。
しかし矢内さんは既に創刊号の印刷を発注しています。
また、皆の手前、簡単に諦めるわけにもいきません。

それから2時間ほどまくし立てながら喋り続けた矢内さんの熱意に負けたのか、とうとう中村さんは、矢内さんのために紹介状を書いてくれることを約束してくれたのです。

中村さんの紹介状を持って、矢内さんたちは再び書店周りをします。



するとどうでしょう?
一度断られた書店主たちは、態度を一変。

いとも簡単に、今度は置いてくれる約束をしてくれたのです。
雑誌を置いてくれる約束してくれた書店数は89店。
矢内さんは今でもこの数字だけは忘れられないと言います。

そしていよいよ創刊号。
1万部の売れ行きは?

2千部ほど売れました。
8千部は返品となりましたが、何の宣伝もせずに、この成績は優秀です。

だから今度は部数を更に伸ばすために、皆で手分けして書店周りをして、置いてくれる書店数を徐々に増やしていったのです。

そしてとうとう2年後には、置いてくれる書店数は1600店となりました。
発行部数も10万部にまで拡大していったのです。

会社規模も大きくなり、当初は相手にもしてくれなかった書店取次店とも無事に契約をしてもらうまでに成長していました。

売り上げも倍々ゲームからようやく落ち着き、踊り場に差し掛かろうとした頃です。

矢内さんは、海の向こうから
「キャプテンシステムに参加してみないか?」
との誘いを受けます。

キャプテンシステムとは、いわゆる文字放送のことです。

電話回線やテレビの送信システムを使って文字による情報を次々と家庭に送り込んでいこうというシステムのことです。

矢内さんは思います。
こんなシステムがもし普及したなら私が発行している“ぴあ”なんて雑誌は、
全く必要なくなるじゃないか。

危機感を募らせた矢内さんは早速このキャプテンシステムの実験段階から参加していくことを決めます。

しかし会社規模も大きくなり、資金的にも多少の余裕が出来たとは言え、まだ海のものとも山のものとも分からないキャプテンシステムの実験に参加していくには、かなりの資金も必要であり、一抹の不安がないわけではありませんでした。



あくまでも「ぴあ株式会社」の本業は、情報誌“ぴあ”の発行だからです。

こんな時にこそ、会社を上場させて市場から多額の資金を集めて、それを原資にして会社規模を更に拡大させていけばいいじゃないか。

まわりの誰からも、そう言われました。

その通りだと思った矢内さんは早速数社の証券会社の担当を呼びつけて、上場に向けての相談を持ちかけたのです。

会社の内容は全く問題なし。
上場を阻害するものも何もナシ。

その時は、既に“ぴあ”自体の知名度もかなり上がってきており、かなりのまとまった資金量を集めることができるのではないかと各証券会社の担当者は口を揃えて上場を進言しました。

しかしたった一つだけ問題点がありました。

それは矢内さんがほとんど趣味的に始めた自主制作映画制作展の存在でした。

これは矢内さんが学生時代になし得なかった映画制作の夢をやる気のある若者達にはかなえてやりたいとの思いから、ぴあがスポンサーとなって映画制作を促進する目的で設立したフェスティバルです。

もちろん赤字事業です。
矢内さんは証券会社に尋ねます。

上場しても自主制作映画制作展を失くす必要はないですよね!?
証券会社の担当者達は口を揃えて言いました。

会社というのは株主のものです。
株主が一番嫌うのは、赤字事業です。
だからいずれは必ず廃止しなければならないと思います。

迷いに迷った末に、矢内さんは上場を断念したのです。
これで新たな資金調達は不可能となったわけです。

ピンチ?
いえいえ。
それにしても、本当に矢内さんは強運の星のもとに生まれています。
そんな折り、巨額の利益を生み出す話が矢内さんの元に持ち込まれたのです。

(つづく)

さきほどの報道ステーションで言ってました。中国で鳥インフルエンザが人間に感染したのを確認したと。



極端におびえる必要はないですが、日本でも今年の冬は危険視されているだけに、くれぐれも健康には留意しておきたいところです。

10月は比較的温かかったので、余計にここのところ寒さが身にしみます。
温かくして、風邪などにかからないように予防につとめましょうね。
お互いに♪

このメルマガは2005年11月16日に発行されたものです。

[ 2010/01/01 16:28 ] メルマガ | TB(0) | CM(0)
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