自分らしい生き方

メルマガ「ピンチをチャンスに!あの手この手の勝者の心理戦」の過去ログとそれに派生する、生き方について考察してみます。

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ぴあの矢内さん(前編)

振り子というのはこっちに振れれば、その反動で反対側にも振れる。誰でもが知っていることかもしれません。



しかし合理性・効率性の方向に振れた分だけ非合理的、非生産的なものの方向へも振れるのです。

それが“遊び”であり、『ぴあ』という会社はその遊び心が原点なのです。

“ぴあ株式会社”の創業者である矢内(やない)廣さんの言葉です。

遊び心があったからこそ、あの創業の時の苦しみを難なく乗り切ってこられたのかもしれませんね。

最近の“ぴあ”と言えば、“チケットぴあ”を思い浮かべるかもしれませんが、元々“ぴあ”というのは単なるコミュニティー情報誌からスタートしました。

しかしそのままコミュニティー情報誌のままだったら今頃多分ぴあという会社は存在してないでしょう。一歩先を進み、時代に先駆け会社の業態を変化させてきたぴあの創業者矢内(やない)さんの卓越した先見性があったからこそ、今でも成長が止まらない会社なのかもしれません。

現在ぴあは電子チケットの分野に既に乗り出しています。

中央大学の3年生の時に矢内さんは今渦中の会社TBSでアルバイトをしていました。1972年のことです。



報道局テレビニュース部C班です。
C班というのは、ニュースの原稿などの配送を受け持っていました。

だから学生のアルバイトが多く、映画好きの矢内さんの周りには自然と同じ映画好き演劇好きの学生たちが集うようになります。

しかし矢内さんたちは映画などが死ぬほど好きなのだが、学生であるために金がない。だからロードショーではなく、いつも二番館・三番館で見るしかたくさんの映画を見れる方法がありません。

しかし新聞などでいくら映画館を調べてもロードショー封切り館しかそこには書かれてはいません。誰も貧乏学生のために情報など提供はしてくれません。貧乏学生にいくら情報を提供しても彼らはお金を落としてはくれないからです。

だったら俺たちで、そんな情報誌を作ってみないか!?
学生の学生による学生のための総合情報エンターテイメント誌だ。

そんな矢内さんの呼びかけに快く応じてくれた人たちがぴあの創業時のメンバーでした。

彼らは分担を決め都内をくまなく回り、情報を集めます。

そしていよいよ創刊です。
最初の版は1万部。
とうとう印刷所に発注しました。
アルバイトで溜めたナケナシのお金をすべて投じて。

さて次にすることは、置いてくれる書店を探すことになります。



日本には再販制度という制度があります。
新刊書店ではたとえ8年前の本であっても定価で販売しなければなりません。
そしてその再販制度を支えるのが問屋と呼ばれる書店取次店の存在です。

通常“本”というのは出版社で刷られたあと、この取次店を経由して全国の書店に配本されます。書店は取次店から“預かった”本を単に販売してるだけなのです。

雑誌など期限が過ぎれば置いておく意味のないものについては売れ残れば基本的には引き取ってくれます。(一部買取もありますが)つまりほとんどの場合は委託販売になるのです。

売れたら売れた分に関する手数料をこの取次店からもらう仕組みになってます。

矢内さんは早速この書店取次店に営業をかけます。
しかし書店取次店が学生の事業に手を貸してくれるわけがありません。
取引口座を開くには、それはそれは普通よりも厳しい審査があります。

だって委託販売なのですから、本を配送した後にその商品ごと持ち逃げされたらそれこそ書店取次店にとったら大損害を被むるため、まずは徹底的な信用調査をかけられるわけです。だから学生など相手にしてくれるわけがないのです。

しかし矢内さんは言います。
「そんなことは最初から既に想定済みだ」と。

矢内さんには実は密かな勝算がありました。

書店取次店など相手にせずに、直接書店と取引をすることでこの情報誌を販売して全国制覇を遂げようという目論見が心の奥底にあったのです。

だからとりあえず書店取次店には声をかけてはみたけど、最初から直接書店と交渉をする腹づもりなので、断られたからといって今後の予定には何の影響もなしと矢内さんはタカをくくっていたわけなのです。

早速書店に直接交渉に出かけていきます。



そこで矢内さんは初めて愕然とするのでした。
書店経営者たちは口を揃えて言い放ったのでした。

あのね、我々は限られたスペースの中で委託販売をしているんだよ。
売れるか売れないかわからないような商品を置くスペースなんてないんだ。

どこに行っても同じ答えです。
どこでも冷たくあしらわれます。
矢内さんはここで初めて自分の浅知恵に気付きます。

しかしもう既に印刷所には1万部の印刷を発注しています。
後戻りなどできません。

とうとう万策つきた矢内さんは、急に何を思ったのかあの紀伊国屋書店の社長だった田辺茂一さんのもとへ電話を入れたのでした。

もちろん知り合いでもなければ紹介者がいるわけでもありません。
だから普通であれば、受付でテキトーに断られるのがオチです。

しかし運が強かったのか?
たまたまタイミングが良かったのか?

まさに万分の一の確率で、田辺茂一さんに電話が繋がったのです。
本当に奇跡としか言いようがありません。

矢内さんは必死になって田辺さんに訴えかけます。
そしてとうとうその熱意が伝わったのか、田辺さんが言ってくださいました。

なあ?んだ、そんなことだったら僕よりも適任者がいるから、一度ウチに遊びにおいでよ。紹介してあげるから。

矢内さんは飛び上がって喜びます。
天にも昇る思いで舞い上がります。

その後にやがて世間の非情さをイヤというほど知らされる羽目になろうなんて
微塵も考えているはずもなかったのです。

(つづく)

このメルマガは2005年11月9日に発行されたものです。

[ 2010/01/01 15:24 ] メルマガ | TB(0) | CM(0)
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