自分らしい生き方

メルマガ「ピンチをチャンスに!あの手この手の勝者の心理戦」の過去ログとそれに派生する、生き方について考察してみます。

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宋襄(そうじょう)の仁

中国三千年の歴史」とは、よく言ったものである。



紀元前の話です。

宋の襄公は、次々と強国と友好を誓い合うことで、周辺諸国とバランス良くつきあっていた。
そしていつの日にか自分自身が、覇者になるべくそして、盟主になるべきだと思うようになっていました。

しかし楚の成王は、襄公の思い上がりを腹に据えかねていた。

襄公を会盟の場で捕らえて、宋を攻めて、襄公を捕らえたまま楚に帰ってしまったが、その年の冬になって、襄公は、ようやく釈放された。

いわゆるキツイお灸を据えたことになるわけです。

しかし襄公の覇者への夢は断ち切れなかった。そして「一体何を勘違いしているのか?」と思っている周辺諸国。



とうとう宋軍と楚軍は争うことになりました。

大河を挟んでのにらみ合い。
楚軍は、とうとうシビレを切らして、大河を渡ってきた。

目夷(もくい)という家来が宋の襄公に進言しました。

今です。
相手はとうとう待ちきれずに渡ってきました。
この戦い、軍勢で言えば楚軍が圧倒的に有利。
しかしその楚軍は今は水の中。

こちらに勝機が巡ってきました!
今こそ進軍の合図を!

しかし宋の襄公は、こう言った。

敵が水の中にいるからと言って、こちらが攻撃するのは聖人君子の行うことではない。


卑怯だ。
だから河を渡りきるまで、待つのだ。

国王の命令とあらば、目夷(もくい)も従わざるを得ません。

やがて楚軍は河を渡りきりました。

そこで再び家来の目夷(もくい)は進言します。

敵は渡りきりました。
しかしまだ陣形が整っておりません。
今こそ我が軍のチャンスです。
敵の虚を突きましょう!

すると宋の襄公は言いました。

文化人というものは、他人が苦しんでいる時に、更に相手を苦しめるようなことはしないものだ。


君子たるものは、人の弱みに付け込んだりしないものだ。
だから相手が陣形を整えるまで待とう。

そして相手の陣形を整えるまで待って、戦いの火ぶたは切って落とされた。
宋はボロボロになって敗戦し、宋の襄公は処刑された。

これを宋襄(そうじょう)の仁、と言います。

後世では
「尾生の信」と並んで、二大笑い話として延々と語り継がれてきました。
[ 2010/01/08 09:43 ] メルマガ | TB(0) | CM(0)
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