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自分らしい生き方

メルマガ「ピンチをチャンスに!あの手この手の勝者の心理戦」の過去ログとそれに派生する、生き方について考察してみます。

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石田純一さんが逆転できた理由

石田純一さんが東尾理子さんと交際しています。
熱愛報道が出ましたが、まだお父さんの東尾修さんの許可が出ていません。

芸能レポーターによると、最終的には渋々オーケーを出すだろうとの予想を出していますが、果たしてどうなるのでしょう?

しかし石田純一さんと言えば、今では新キャラでテレビなどでも一定の地位を築いていますが、実は、その昔

不倫は文化だ

と言って、世間から一斉にバッシング(特に女性)を受けたことがありました。

本来なら、そのまま芸能界から消えていてもおかしくなかったのですが、本日は、そのあたりを見てみましょう。

石田純一さんは早稲田大学在学中から演劇志望で、演劇を勉強するためにアメリカに留学していたこともありました。



帰国後にすぐに大学を中退して、演劇研究所の研究生となります。
本当に演劇が好きだったんですね。
しかし好きなだけでは、食っていけないのが芸能界です。

石田純一さんもまた、劇団所属俳優という、長い下積み期間を余儀なくされます。

チャンスが巡ってきたのは、1988年。



フジテレビのドラマ『抱きしめたい!』への出演が決まり、大ブレークします。

時に日本経済はバブル景気に向かって来た時期にあり、芸能界きってのプレイボーイ代表として、今度は、トレンディドラマに欠かせない人材として各社から引っ張りだことなります。

君の瞳に恋してる!
オイシーのが好き!
同・級・生
想い出にかわるまで
などなどに出演し、トレンディ俳優としての地位を確固たるものにします。

人気が出てくれば、出る杭は打たれるとの例え通り、色々と出てくるものです。

石田純一さんも、ご多分に漏れず、1991年に、まず隠し子騒動が起きます。

実は石田さんはアメリカに留学している時に結婚・離婚を経験しており、その時に生まれた子供がいることが、マスコミの知るところとなったわけです。

この隠し子が、いしだ壱成さんでした。

しかし、息子のいしだ壱成さんもまたブレイクします。


ピンチをチャンスに変えた、第一弾でしたが、マスコミも、いしだ壱成さんの人気が出てくるとともに、突っ込んだことは書けなくなっていきます。

そして石田純一さんは、トレンディ俳優からニュースキャスターへと華麗なる転身を果たします。

テレビ朝日の『スーパーJチャンネル』でメインキャスターとして抜擢されるのです。

そして事件は、起きます。




1996年10月に、ゴルフ場での芸能レポーターの取材における発言がクローズアップされるのです。

「文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある」という発言です。
しかしそれが「不倫は文化だ」とすり替えられ、マスコミが大騒ぎします。

そしてそのバッシングは、やがて
「不倫は文化だ」との思考回路を持っている人間にニュースキャスターを
やらせても良いのか!?
との批判へと変化していきます。

そしてとうとう石田純一さんは、ニュースキャスターを降板せざるを得なくなりました。



最後の放送の時には、悔し涙をポロポロ流していたのが、印象的でした。
しかし泣きっ面に蜂とは、よく言ったものです。

その後石田純一さんは仕事が次第となくなり、夫人の松原千明さんとも離婚。
自身の経営するタオル会社も清算。

ただ、いしだ壱成さんの仕事は順調でしたので、息子に面倒でも見てもらうのかな?
そんな風に世間では見られていました。

しかしそのいしだ壱成さんも2001年に大麻・LSD所持で逮捕されてしまいます。



もう親子揃って、地獄へ突き落とされたような状態です。

しかしここで石田純一さんは、イイ意味で開き直ります。

石田純一さん自体は「不倫は文化だ」などとは一言も言っていないのですが世間から、そう思われているんだったら、そういうことにしよう!、と。
そしてそのことが認められ、
今度はバラエティ番組で大活躍することとなりました。

このメルマガは2009年9月20日に発行されたものです。

[ 2010/01/04 13:51 ] メルマガ | TB(0) | CM(0)
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