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自分らしい生き方

メルマガ「ピンチをチャンスに!あの手この手の勝者の心理戦」の過去ログとそれに派生する、生き方について考察してみます。

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鳥谷選手の深イイ話

1974年阪神タイガースにドラフト第6位で入団した掛布雅之さん。
ドラフト第6位とは言っても、実質的にはテスト生扱いです。

しかし練習に次ぐ練習をして「練習の虫」との異名をとりました。

そして一軍にデビュー後は、『史上最強の7番打者』と言われ(当時タイガースの4番は田淵幸一さん)他球団から恐れられたものでした。

1979年に田淵幸一さんが西武にトレードされてからは、掛布選手が4番打者として定着。

体格的に決して恵まれていなかった掛布選手は本人が意図していない、長距離バッターとしての要素を強く求められました。

研究に次ぐ、研究を重ねて最終的に編み出したのが、甲子園名物の「浜風」を味方につけること。

よく高校野球などで
「甲子園には魔物が住んでいます」というアナウンサーの定番文句の正体は
この甲子園名物の「浜風」です。

甲子園球場のセンター後方から約2キロぐらいのところに海があります。

そこから吹き付ける強い浜風が、あの大きな銀傘に当たり、跳ね返る。
跳ね返った風と、更に吹き付けてくる浜風とがぶつかりあって渦を巻く。

それが内野の上空で風が大きくねじれあって、ランダムな渦巻きを生む。
だから内野フライが高く上がれば、プロでも中々捕れないと言われています。

中日の宇野選手。
巨人の河埜選手。

この甲子園の魔物のために引き起こされた“世紀の落球”のために選手生命を実質的に絶たれた選手も多い。

しかし掛布選手は、この魔物を味方につけることに成功しました。

猛練習によって手首を鍛えて手首のリスティングだけでスタンドに持って行くスタイル打法を確立しました。

しかし逆に、そのスタイルが掛布自身の選手生命を縮めたと言われています。

阪神タイガースに所属する鳥谷敬さんが、『人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ系列)』で鳥谷選手自身が語っていた自分自身のことです。

2004年に阪神タイガースに入団した鳥谷選手は岡田彰布監督と同じ早稲田大学出身です。
入団時から開幕遊撃手としてスタメン出場を果たしました。

そんな時にスタンドから声が聞こえた。



「とりたにぃ~!」
「とりたにぃ~!」

鳥谷選手は、単なる声援だと思い、スタンドには顔を向けないようにしていました。

しかし声援は止まらず
「とりたにぃ~!」
「とりたにぃ~!」

あまりにも、しつこく呼ぶので、鳥谷選手は、ついスタンドに目をやりました。

すると
「こらっ!3割打ってから、こっちを見ろっ!」

鳥谷選手は
「大変なところに来てしまったなあ」
と感じたと言います。

あれから5年。
昨年は、ベストナインを初受賞もしました。

そんな鳥谷選手が自分自身を一人前の選手になったなあ、と感じる時があるそうです。

どんな時だと思いますか?

タイムリーヒットを打った時?
ホームランを打った時?
ファインプレーをした時?

いえいえ、それは、チャンスに凡退で終わった時。



ベンチに帰って行くまでに物凄いヤジを浴びせられる。

「もう辞めてしまえ!」
「アホ、ボケ、カス!」

鳥谷選手は、こんなヤジを飛んだ時、再びふんどしを締め直して、更に上を目指していく努力をするそうです。

誰しも、他人から耳のイタイ話などは聞きたくないものです。
だから、こんなヤジを飛ばされると、
「ファンなのに、なぜ?」と思ってしまいがちです。

暖かく見守ってくれるのもファンなら、叱咤激励をしてくれるのも、またファンです。

そのことを鳥谷選手自身がわかっている限り、
今後も鳥谷選手は成長を続けていくのではないかと思います。

このメルマガは2009年7月20日に発行されたものです。

[ 2010/01/04 12:45 ] メルマガ | TB(0) | CM(0)
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